|
■ 概要
栃木県内では、明治23年7月に鹿沼市内の下野麻紡織(後の帝国繊維)が工場用照明として国内初の本格的水力発電所を設け点灯したのがはじまりである。県都宇都宮においては、明治31年に二荒神社の前での点灯が最初と言われており、この当時は薪を使った火力発電で町の中心部を供給していた。 電気事業としては、日光電力(株)が明治26年10月に日光発電所(現日光第二発電所)を設置し日光町内に供給したのがはじまりであり、琵琶湖疎水の蹴上発電所(M25/4)、箱根電灯所(M25/6)に次ぐ我が国3番目の発電所でもあった。 この頃は、火力・水力発電所から直接100Vで配電しており変電所はまだ現れていない。その後、宇都宮電灯(株)が明治35年1月に田川を利用して篠井村に石那田発電所を建設し3,000Vで宇都宮市内まで送電、日光電力(株)が10,000Vで今市、鹿沼方面へ送電したのが明治36年のことであった。 県南・県北部においても次々と発電所や変電所が建設され、今市(明治36年)、鹿沼(明治39年)、足利(明治41年)、大田原(明治42年)、栃木(明治43年)、佐野(明治44年)など、明治後期には主な市町にほぼ供給されていった。 |
|
■ 地域電気事業の発展の経緯
電気事業は、明治中期以降大小多くの電灯、電力会社が設立され、県内においても日光、宇都宮、大田原など地元を拠点とする会社のほか、群馬、茨城、福島など近県からの供給事業進出を受け、大正から昭和初期にはこれらの統廃合が繰り返されたが、昭和13年4月に電力管理法が施行され、昭和16年8月の配電統合の公布によって昭和17年10月配電統合が行われた。このことにより、およそ一般供給の性格のあるものはすべて関東配電(株)に統合された。 昭和26年5月には、電力の合理的経済的運営を指向して電力再編成が行われ、全国9電力会社に分割となり、東京電力(株)が発足し現在に至った。 県内における電気事業の発展の経緯は、大別して3地域に分けて考えることが出来ることから、以下にその過程をたどってみることとする。 |
|
■ 県北部(大田原、那須、芳賀地区)
明治42年に大田原町に大田原電気会社が設立され、現在の大田原変電所の場所に火力発電所を建設し供給したのが始まりである。明治45年2月には箒川下流の百村川に滝岡発電所を建設し、供給区域も黒磯、関谷、馬頭、黒羽、矢板、片岡へと拡大していった。 また、氏家では大正2年に野州電気(株)を設立し、火力発電所を現在の氏家小学校の地に建設し供給を行った。 烏山では大正2年に烏山電気会社が荒川を水源とした藤田発電所を建設し供給を行った。 これらの各電力会社は、大正4年12月に合併し、塩那電気(株)を設立し、烏山以北の大半を供給することとなった。 さらに、荒川電気が大正2年現南那須町に森田発電所建設計画を立て、同11年1月竣工、供給を開始した。 芳賀地区にあっては、茂木水力電気が大正2年に設立され、逆川に馬門発電所を建設し、大正3年に供給を行った。 茂木水力電気は、那須温泉の高雄股発電所をもつ那須電気に大正10年に合併され、更に翌11年荒川電気と合併して野州電気(株)を設立した。(県央で紹介した野州水力発電とは別会社) しかし、大正14年8月には福島電灯(株)に買収され、県北部は福島電灯と塩那電気が供給するところとなった。 この他に塩原地区においては、塩原電車鉄道(株)が大正8年にひき沼発電所を建設し関谷地区へ、昭和4年には赤川発電所を建設して塩原地内へ、矢板北部の山県農場では大正9年に金精川電力(株)を設立し金精川発電所を建設して農場周辺へ、上河内では大正12年に西鬼怒川水力電気(株)が西鬼怒川発電所を建設し塩谷地区へ、黒羽では大正3年に東野電力が設立され、同6年に川西発電所を建設して黒羽地区にそれぞれ供給したが、塩原電車は昭和10年に塩那電気へ西鬼怒川水力電気、金精川電力、東野電力はそれぞれ大正15年、昭和2年、昭和14年に福島電灯へ合併となった。 塩那電気は、この間電力の安定供給のため大正10年に黒川発電所を竣工させ、電源の強化を図り福島電灯においても沢名川発電所を大正13年に建設し、黒田原変電所と連系させ、強化はかっている。 塩那電気は、昭和11年3月に福島電灯に合併吸収され、県北部の供給は、福島電灯に一本化された。 |






